悪しき差別を失くすために立ち上がった人たちがいました。
「水平社」
1922年(大正十一年)3月3日京都市の岡崎公会堂で結成されました。
かの美しき崇高な「水平社宣言」を叫びました。
日本の歴史上初めての人権宣言です。
人が人であるべきを訴えました。
執筆者は西光万吉(さいこうまんきち)という青年で、彼も差別に苦しん出いました。
水平社は名前を変え、現在は「部落解放同盟」になりました。
他にも差別撤廃を求める団体が作られる様になりましたが、
差別は無くならず、差別の対象となる地域を網羅した地名総監図が販売され、
企業がそれを買い、入社採用にそれを用いて生まれた地域で採用しないという暴挙が
後に分りました。
人権を無視した地名総監図やそれを利用した企業などは今は少なくなっています。
しかし完全に無くなっていません。
どうすれば良いのでしょう?
差別をなくすためにはどうすればよいか、考えたことはある?
「学校でいじめをなくすには」、と同じ問題だ。差別もいじめもとても似ている。
かばうとかばった者も被害を受けるからだ。
放って観ているのがいい?それでいい?
本当はどう?
もし自分がされたら助けてもらいたい?
強さって何?
強さって、私は何か言えるけど、あなたたちに考えて欲しい。
自分がいじめられたり、差別されたら耐えられるか。
死んでしまおうと考えるか、家に引きこもるか。
死んじゃうことは解決ではなく放棄、逃げだね。
引きこもりも逃げ。
一度の人生を戦わずに逃げて心が芯から腐っていくだけ。
豊かな時代に腐った人間が増えていく。
日本のタブー。
らい病と呼ばれる病が日本にあった。今で言うハンセン病だ。
らい病と診断されると、その人は強制的に隔離病棟に入れられた。
伝染すると当時は思われたためだ。
恐ろしいのはらい病が出た家は村からも仲間はずれにされてしまうこと。
もし、兄妹がいて兄がらい病だとすると妹はどこにも嫁にいけない。
昔の日本人は「血筋」を重んじる国民だったため、病持ちがその家系にいると結婚は拒まれた。
結婚とは人間同士ではなく、家と家がつながることを意味する。
今でも〇〇家、◇◇家の結婚披露、とかいうでしょ。
相手の家系に病持ちがいると言うことは、過去に罪を犯しその報いが子孫に病として出ると思われた。
結婚してその家とつながると、その報いも被ると思われていた。
今ではハンセン病は伝染しないことは常識。
村という小さなコミュニティーには秩序を守るためのルールがあり、変な習慣もあった。
それは正に人権を無視したものが多いのも事実だ。
白人でアメリカ人のあるジャーナリストが言っていた。
「肌の違いで差別することは理解できるが、同じ肌で同じ国の人間を差別する日本人は理解できない」
いわゆる「部落差別」である。
昔、生き物の死体などを処理をしていた人は「穢れ(ケガレ)」るとされ、その「穢れ」は伝染すると信じられていた。
誰かがやらなければいけない作業。その作業は世襲制となりその一族は他の仕事をさせてもらえなかった。
さらに一般人より格下扱いされるようになり、一般人との結婚も許されなかった。
このようなバカバカしい職業差別が昔から日本にあった。
「うちの先祖は武士ですから」などとよく聞くが、これは一般人より格上とされていた階級をいまだ自慢している。ゆえに差別もしていることになる。
私は武士の子孫、あなたはどちら?あの辺りの出身ということは〇〇部落の所・・・。
このような考えをしている人が沢山いることが日本のタブーのひとつ。
差別とは人間に対しこの人権を無視した最低な行為である。
人権の固有性とは、人権が憲法や天皇から恩恵として与えられたものではなく、人間であることにより当然に有するとされる権利であることをいいます。
人権の不可侵性とは、人権が原則として公権力によって侵されないということを指します。
人権の普遍性とは、人権は、人種、性、身分などの区別に関係なく、人間であるというただそれだけで当然にすべて享有できる権利であるということを意味します。
女のくせに・・・とか、貧乏だから、外人は嫌だ、〇〇出身だからなどは立派な人権侵害です。
なぜ、差別が今も尚、残っているのか・・・。
ここが正に日本のタブーです。