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140224

お久しぶりです。
去年の今頃、私は旭川にいました。
お父さんのお通夜と葬儀のためです。
今月17日、また旭川に行きました。おばあちゃんのお通夜と葬儀、そしてお父さんの一周忌です。

またひとり、家族を亡くしました。
私のおばあちゃんは昔から私のことを可愛がってくれました。私もまた、おばあちゃんが大好きでした。

時々いやになることもあったけど、やっぱり私にとってかけがえのない家族でした。
高校受験に失敗して、家族がバラバラになることが決まりました。当時はすごく責められました。
私のせいでって何度も言われて、早く出て行きたいと思いました。
離れ離れに暮らしていても時々心配で、携帯を買ったときに電話番号を教えました。
おばあちゃんもだけど、お父さんもよく電話をかけてきました。授業中、早朝、友達と遊んでる時。時々迷惑だと思うこともありました。
今ではもっと話してあげればよかったって思います。

専門学校を卒業して、就職が決まって、私はおばあちゃんとお父さんにプレゼントをおくりました。
自分の働いたお金で、初めて家族にプレゼントをあげました。
父の日にはお父さんに帽子を、敬老の日にはおばあちゃんにショールをあげました。
お父さんは私があげた帽子を毎日かぶって出かけていたそうです。おばあちゃんも、電話をするたびにいつも「あんたがくれたショールあったかくていいわ。柄も素敵だね」ってそんな風に毎回毎回言ってました。
昔から私のこといちばんかわいい孫だっていって、いつも近所の人やいろんな人に自慢してました。

私はおばあちゃんがいうようなできる子じゃない。甘やかされて育って、1人じゃ何もできないような、そんなどうしようもない子供だった。でもいつもおばあちゃんは褒めてくれた。去年、お父さんが突然死んで早朝からおばあちゃんから電話がきた。嘘だって思った。本当だった。
私は泣くことしかできなかった。棺の中のお父さんを見て、ただただ泣いてた。悲しすぎて言葉にならなかった。

でもきっと、おばあちゃんだって自分の息子が自分より先に死んでとっても悲しかっただろうに、泣いてなかった。
さみしそうにお父さんに話しかけてた。
たかし、私たちを守ってねって遺影に話しかけてた。それを見て私はただ泣いてた。

4月、おばあちゃんも倒れた。突然電話もめっきり来なくなって心配してた矢先だった。手紙を書いたけど、返事は一向に来なかった。
11月、久しぶりに旭川に帰った。おばさんからおばあちゃんの様子を聞いただけで悲しくて泣いちゃった。あんなに元気だったのにって思った。お見舞いに病院に行くと死んだように眠ってて、どんなに話しかけても起きなくて、辛かった。ご飯も飲み物もろくにとってない。でもいつか元気になって、在宅は無理でもどこかの施設で元気に暮らして欲しかった。

今回だっておばあちゃんに会いに行こうと思ってたのに。おばあちゃんまでお父さんのところに行ってしまった。
何年も前からまたみんなで暮らしたいって言ってたね。叶わないまま、お別れになっちゃったね。おばあちゃん不幸な悪い孫だね。ごめんね。
それでも私はおばあちゃんのことずっと大好きだからね。そっちではお父さんと仲良くしてね。おばあちゃん、今までありがとう。
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