今年もそろそろ終わりなのかぁ…

2023を終えようとしている。

今年は、今年もまた、ほんとに

終わろうとしているか実感なし。

特に今年は、ついこの前てんとう虫を見た

ばかりなのに。しかも二匹。

嫌いだったてんとう虫も、いつの間にか

父が亡くなってすぐに頻繁に見かけたこと、

てんとう虫は天国の使者といわれてるいこと、

にすがり

好きになってきている。

(好きになったのではなく、なってきていることが重要)





さて、

父の兄の嫁さんは昔から病弱で

なんども病気を重ね生死をさまよいながらも

生き抜いてきた人、

だったがいよいよ大病となってしまい

寝たきりになってしまった。

といえどもよくも悪くも意識はしっかりある。

MMがお見舞いに行ってきた。

「Yちゃんは?」と言ってくれたらしい。

Yも行けばよかった。(次機会があれば行こー)

なにせそこまで付き合いはなく、

むしろ両家は険悪な関係だった時もあり、

しかし父の亡くなる前には

病室に夫婦でまめにきてくれた。

そんな義姉を見たMMも色々考えたことだろう。

なにせ父が生きていれば同い年。

特に息子が義姉の介護に一生懸命だった事に

感銘を受けた模様。

「○くんが介護に真剣に向き合ってて」

「○くん母親想いなのね〜」

と続けるMM。

その次の言葉またはMMの心はとっくに読める。

(それに比べてうちの息子は)

MMよ、弟もそれほどではないかもだけど

Y姉的には彼は彼なりに家族思いだと思うぞ。



ま、その一連から思う、

MMは家族を介護をするのが正義だと

思っている節がある…と。

近頃ではヤングケアラーという言葉も

身近になったものの当時は存在せず、

どの程度の介護を指すのかはわからないが

Yも弟もヤングケアラーだった。

実際にはケアラーとかそんな誇らしげに

父に接してあげられてたかというと微妙だが。

そして

なにより

MMこそが本当のヤングケアラーだったようだ。

幼い頃に祖父のオムツをかっていたそうだ。

だから

MMにとって

家族が介護をするのは当たり前で

それは素晴らしく偉いこと、と肯定して

自己を保っていたいのではないか?

とYは推定してみたりする。




とまー

よくわからないが

父の兄の嫁さんが倒れたことは

「やっぱり健康が一番やな」

とどこか他人事のような冷たい気持ちと

「MMが元気なうちに孝行でもすっか」

という気持ちを生まれさせたのである。




だから今夜はGをGの実家に送り返した。

本人もまんざらではなさそうだし。

義母も喜んでるだろうしな。




そして一番肝心なY自体も親孝行しなきゃな、




2023年の始め

または2022年の終わりに

「2023は貪欲、強欲に」と目標したが

結局ケチなYは

自分自身には投資はできなかった。

結局Yも誰かに尽くしていたい

つまらない女なのかもしれない。

だから2024年の目標は

親孝行の1つとして

「MMをねぶた祭りにつれていく」

ことを掲げようと思う。

死ぬまでに行ってみたいといってたし、

いよいよ

人間いつ死ぬかわからなくなってきたし

「生きているうち」「健康なうち」

ということを父や父の兄の嫁が

気付かせてくれた。

MMが死ぬ想像はまだできないのだが

なんだがY自信が

MMに介護されそうな気がヒシヒシと感じて

しまう時がある。

「私の人生は介護人生だから」

とMMのいつかの言葉が忘れられない。

娘の介護を母が…なんて

あってはならないことだが

あり得ないとは言い切れないのも

これもまた人生。




あ!とりあえず明日も早いから

寝なくちゃ。

久しぶりに長々と書いてしまたー

年内にもう一度くらい

具体的な来年のスローガンかかげたいけど

どうせ叶えられないのが

Yさまだっ(*^q^*)